

日本人女性初の大偉業! 8,000m峰14座を制覇した渡邊直子さんに、いろいろ聞いてみた!
8,000m峰が、私を私でいさせてくれる。

「もっと、いたかったな」。
14座制覇の感想を聞くと、渡邊さんは開口一番そう答えた。
超空気が薄い、想像のはるか上をいく8,000m超えの山々。道中は過酷だけれど、渡邊さんは極地とも言えるその場所で、信頼できる仲間と過ごす時間がなによりも好きなのだ。ただ、記念すべき14座目は短期間しか滞在することができなかったため、それが冒頭の言葉に繋がっている。
登山家のなかには、スタンプラリーのように14座制覇を目指す人もいるけど、渡邊さんの場合は仲間との楽しい(ときには険悪な)時間を過ごした連続に「14座制覇」があったと言っていい。
さて、ここで14座を標高が高い順から記してみる。
①エベレスト:8,848m
②K2:8,611m
③カンチェンジュンガ:8,586m
④ローツェ:8,516m
⑤マカルー:8,463m
⑥チョ・オユー:8,188m
⑦ダウラギリ:8,167m
⑧マナスル:8,163m
⑨ナンガパルバット:8,126m
⑩アンナプルナI:8,091m
⑪ガッシャーブルムI:8,080m
⑫ブロード・ピーク:8,051m
⑬ガッシャーブルムII:8,035m
⑭シシャパンマ:8,027m
「14座のなかで最初に登ったのは2006年のチョ・オユーです。それまでも5,000m峰や6,000m峰に何回か行っていて、その延長線上にあったのが8,000m峰。最初は、こどものころ参加していたNPO団体の創設者が企画した遠征に誘われて行っていました。今まで行った6,000m峰から2,000mぐらい上がるだけでしょ?みたいな感じで」
それから14座の山々を登っていき、7座目となるカンチェンジュンガを登り終えたときに、14座制覇を意識しはじめたという。
「周りから『日本人女性で7座以上登ってる人いないんじゃない?』って言われて、調べたらやっぱりそうで。そのときに、私も14座登れるのかなあって初めて意識しました。それまでは絶対無理だと思っていたし、そこまで興味もなかったんで」

そもそも、渡邊さんは記録を達成したり、登頂することよりも、ヒマラヤの遠征自体が楽しいタイプ(そんな登山家はほぼいない)。それが自身をリセットしてくれるから通い続けている。
「日本にいると、たぶん本当の自分じゃない。向こうへ行くことで本当の自分に戻れるので、リセットしに行く意味合いもあるんです。あと、普段の生活では考えられないようなハプニングが起こるし、それこそ生死に関わる場面の時に『あ、私ってこういう考え方するんだ』っていう発見があったりして」
例えば、世界最高峰のエベレストにアタックしていたとき。いきなり天候が悪くなって、頂上150m手前で引き返すか登るかのジャッジを迫られる。渡邊さんの場合、それまで自身のことをかなりの負けず嫌いだと思っていたけど“引き返す”というジャッジを簡単にできたという。
「あと1時間って感じだったけど、頂上は行けると思うけど降りられないと思って。本当にそんなことの連続ですから」
14座制覇の裏にあったシェルパとの信頼。

自分をリセットし、学びを与えてくれる8,000m超えの山々。とはいえ、何も高い山がそうしてくれるわけではなく、シェルパ(ヒマラヤの高山に住む少数民族。登山家たちの登攀をサポートする)と一緒にいる時間がそうさせてくれる。
「彼らのおかげで、私にとっていま、ヒマラヤは『帰る場所』って感じになっているかも」
今年の10月、14座目となるシシャパンマにアタックするときのシェルパたちは、昔からの付き合いがある兄弟のような面々だった。下積み時代から見てきたシェルパもいた。
他の登山家たちは、登山家同士としかコミュニケーションをとらない人が多い。登山中もシェルパとの会話は最小限で、食事をする場所も別。一方で渡邊さんは、シェルパと常に一緒にいる。食事も彼らのダイニングでとる。おかげでネパール語も喋れるようになった。

「常に一緒にいるから、裏事情をいっぱい知れるようになるんです。ある登山家のことをめっちゃみんな嫌ってるとか(笑)。裏ではルート開拓ですごい問題が起こっているんだけど、登山家たちは呑気に登ってるよとか。そういうのを聞くのも楽しいんです」
その証拠に、そうした類のドキュメンタリーを作る際もシェルパは一切映らないなんてことがよくある。しかし、渡邊さんは彼らとはいつだって対等で、上も下もない。その積み重ねがあったからこそ、14座登頂の偉業を成し遂げたと言っていいのかもしれない。
最後の1座は15日間のバタバタ劇。

今回のシシャパンマ。2019年から、コロナなどの影響もありずっと閉ざされていて、やっと入山許可が下りたのが2023年。渡邊さんは、一昨年も挑戦していたが、ある理由で諦めることを余儀なくされた。
「私のシェルパがルート開拓しながら、二人だけで途中まで登っていたんですけど、別の隊にアメリカ人女性初の14座制覇がかかっている2人がいて。で、途中からお互いにルート開拓をどっちの隊がするかで揉めて、キャンプ2で停滞してしまいました。彼らがアタックを始めたのは朝だったので(通常は夜出発)、私はリスクの方が大きいと判断し、キャンプ2に残り、皆が登頂できたら次の日にアタックしようと思っていました。結果、彼女たちは登頂を目指している途中に雪崩で亡くなってしまって、すべての隊の中止が決定したんです」
最後の14座は、楽しい思い出で終わりたい。そう強く思いながら昨年の9月、渡邊さんは3度登っている8,000m峰、マナスルにいた。その山中で、シシャパンマへの登頂許可が下りたという。
「もし許可が下りた場合のことも想定して、準備はしていたんです。おかげで高度順応はできていたから、そこから下山して、1日だけカトマンズに滞在して、すぐにシシャパンマに向かいました。マジでめちゃくちゃハード(笑)」
実はこれまでの経験で、バタバタしていたほうが成功するという確信があったという。準備を重ねすぎるとうまくいかないらしい。

先述したように、ずっと閉ざされた山だったため、その間、13座を登頂した人たちが20人以上いた。だから今回の遠征中、ベースキャンプには登山界のオールスターが勢揃いしていた。
「カオスでしたね。本当にすごい人たちがいっぱい。だからもっと長くいたかったし、本当は2ヶ月ぐらい滞在するものなのに、15日間で終わっちゃったんですよ。もっと楽しみたかったし、全然時間が足りなかったですね」
道中は失禁したダウンスーツを洗って乾かすのに苦労したり、遭難して助けてもらったり、ベースキャンプまで行くためのクルマのチェーンが壊れて立ち往生したり、困難の連続だった。昔からの馴染みのコックが、渡邊さんのためだけに日本米を持参してくれていて、振る舞ってくれたりもした。


ちなみにサラッと書いているが、失禁の理由は、8,000m峰の危険地帯では、命綱を結んだりするためのハーネスを、ダウンスーツの上から腰や太もも回りに巻いていて、用を足すためにはハーネスを外し、ウェアを脱いでする。しかもそれを極寒の環境下でやらないといけないから。
そして、ついに14座制覇の偉業を成し遂げることになる。
「カメラを向けられた時は、たくさんの人に応援してもらっていたので泣いちゃいましたけど、実は、あと数歩で登頂ってところで、1時間ぐらい待機していて。気持ちがちょっと冷めちゃって(笑)」
なぜかというと、その頃、頂上では世界的に有名なネパール人登山家の隊が1時間、動画や写真をずっと撮っていた。それを邪魔しないように待っていたというわけだ。そんな優しさも、なんとも渡邊さんらしい。
「私は2014年から彼を知っていて、仲が良いときも悪いときもあったけど、今回、ベースキャンプでお互いに素敵な話ができ、ただではインタビューを受けない彼が、快くインタビューを撮らせてくれたので、お礼と思って山頂で待ってあげました(笑)」
「記録のための登山」でも「挑戦のための登山」でもない。

渡邊さんはあっけらかんとしているし、偉ぶる素振りは皆無だし、見た目は普通の女性と変わらない。だから、14座制覇を普通のことのように錯覚してしまうけど、日本人で達成しているのは渡邊さんを含めて3人しかいない。女性に限っては、もちろん渡邊さんだけだ。
「おめでとうと言われることもあるんですけど、違和感があるんですよね。これからも登り続けるし、私にとってはライフワークだから」
その証拠に、年末年始はSNSの呼びかけで集まった人たちと一緒に、渡邊さんの呼びかけで集まったシェルパたちとヒマラヤトレッキングをした。さらに今年の4月には、3度目のエベレストが控えている。

「8,000mの山にシェルパと行くことは、自分の生活の一部になっちゃってるから、それがないと精神が保てないんで。だから私にとって、8,000mの山へ行くことは休息の意味もあるんです。今後、それを続けていった結果、14座制覇を2度3度達成とかの記録が付いてくるかもしれません。
並行して、ヒマラヤに子供たちや初心者を呼び、ヒマラヤの魅力を伝えていく活動も行っていく予定だという。
「記録のための登山」でも「挑戦のための登山」でもない。シェルパたちと対等な関係を築き、現地の文化に溶け込み、そこで自分らしさを取り戻すという、きわめてパーソナルな渡邊さんの登山スタイル。その過程で、日本人女性初の14座制覇という偉業が付いてきた。
改めまして、14座登頂、本当におめでとうございます!
Text:Keisuke Kimura
Edit:Jun Nakada