#05

(SKI)

Photograph

(後編)スキー狂の写真家・渡辺洋一が
ニセコで追い求め続ける、本当の豊かさとは。

渡辺洋一
(写真家)
スノースポーツの聖地として、世界各国からスキーヤーやスノーボーダーが集まる北海道・ニセコ。羊蹄山の裾野に広がるその街で、およそ30年間、スキーガイドと写真家として生きてきたのが渡辺洋一さんだ。いまでも冬の時期は、朝に必ず新雪を滑り、カメラを携え森を歩く。彼の人生は、自然の中で「外遊び」を続けることで切り拓かれてきた。スキーに魅せられた少年時代から、30歳でニセコへ移住。スキーや雪に関連する多くの写真集出版や、スノーカルチャーマガジン『Stuben Magazine(スチューベン マガジン)』の創刊、そして次なるステージへ。本当の豊かさを求め続ける写真家の物語を、軽やかな雪が降り積もるニセコの街で聞いた。

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朝5時からはじまる新雪を待つ日々。

「今も毎日、パウダーを滑り、ゲレンデを高速で滑ってますよ。60歳になるけど元気に何歳まで滑れるか実験中です!」

渡辺さんの冬の朝は早い。5時には目を覚まし、薪ストーブに火をくべて、窓越しに静かに降る雪を眺めながらコーヒーを飲みゆっくりと身支度をする。

「ニュースも見ない、新聞も見ない。もちろんテレビも。特に冬は、雑念を入れないようにしているんです。スマホも極力使わないようにしているし。どうしても感性が鈍っちゃうからね」

リフトが始動する時間には必ずゲレンデにいて、新雪にその日最初のシュプールを刻む。渡辺さんにとってスキーで滑ることは、日課であり、呼吸であり、生きることそのものだ。滑り姿は還暦前とは思えないほど速く、美しい。動きに無駄がなく、雪の凹凸もすべて体で吸収し、まさに雪と一体になっている。そしてニセコの街に戻ってきたら、次はガイドの仕事が待っている。あるときはバックカントリーへ、そしてあるときは、身近な森をクロスカントリーで。

写真家として、本をつくること。

現在、ガイドとともに渡辺さんの軸となっているのが、写真家としての活動だ。31歳の時、弟のカメラを借りて撮った写真が仲間に喜ばれたことがきっかけだった。そこから最新の機材を100万円で購入。先述したが、渡辺さんの行動の早さには驚かされる。なんたって、たった一回の撮影で「よし、一番高いの買ってプロカメラマンになろう」となり、実際になってしまったのだから。

そこから草の根の活動が始まった。リフトで隣り合わせた人に、自作のチラシを配る。「あなたのスキー写真、お撮りします」。撮った写真は夕方、提携したプリント屋で見られるようにし、1枚800円から販売。それが売れに売れ、やがて仕事になり、ガイドとしてひたすら滑れるようになった。夜はそのお金で街へ出かけ、最初はゼロだった友達がどんどん広がっていく。いまでは、街中が知り合いだらけで「ナベさん!」と慕う後輩も多い。

同時に、ニセコのランドスケープも撮り続けた。

雪煙を上げて滑るスキーヤーからランドスケープまで、時間が許す限り撮り続けたニセコの写真は、やがて上述した『POWDER Magazine』に掲載される。憧れの雑誌のシューティングギャラリーに自分の作品が載った時「写真の大きい賞でももらった気分でした」と振り返る。後に、アジア人唯一のコントリビューティングフォトグラファーとなるのだが、『POWDER Magazine』50年の歴史で、アジア人は渡辺さん一人だけだ。

一方で「スキー雑誌はあくまで道具やウェア、技術を売るためのメディア。最も大切な、自然の中での暮らしについての記事は少ない。だから自分たちで作ることにしたんです」。その思いから生まれたのが、渡辺さんが発行人の『Stuben Magazine』だ。

「Stubenは、オーストリアの小さな集落の名前なんです。語源はStubeで、暖炉や囲炉裏を囲んで人々が語らう場所を意味する言葉。だから、この雑誌の中では冬の暮らしや自然の尊さに焦点をあてて、スキーだけじゃなく、まわりに広がる大きなカルチャーを紹介していけたらと思っているんです」

これまでVol.7まで刊行され、ニセコをはじめ海外の雪山文化や、戦前戦後に活躍し渡辺さんも愛する写真家・濱谷浩さんのことなど、出し惜しみなく詰め込まれている。スキーの背景にある社会や文化を記録し、伝えることも目的のひとつだ。もちろん、掲載されている多くの写真は渡辺さんが撮影したもの。

ちなみに、渡辺さんが主宰する「ニセコウパシツアー」でも、ただ雪山を滑るだけではなく、雪はどうできるのか、森の成り立ちはどうなっているのかなど、この木はなんなのかなど、いろいろと教えてくれる。「仮に、スキーをガンガンしなくたって、雪の楽しさは伝わるし、いかに自然がすごいかってのは体感できるから」。実際、取材班が同行したクロスカントリーのツアーは、スローなペースで森を彷徨い、自然と向き合い、心を開く時間を共有するという、実に豊かな時間が流れていた。もちろん、渡辺さんの手には、常にカメラが握られていた。

多くの人が知るように、かつてのニセコはもうない。インバウンドの波が押し寄せ、かつての静かなスキーリゾートも一変。大資本が占拠し、空き地に見える場所でさえ、投資のためにほとんどが買われてしまっている。これまでとは違うタイプの人たちで街はごった返し、雪山やニセコを愛する人たちは離れていっている。

それでも、渡辺さんは前を向く。昨年、20年間暮らした自宅を手放した。妻の和菓子工房があり、仲間が集い、写真を飾り、庭には山野草が咲き誇った家。「夢のような時間でした」と懐古しながらも、次のステップに行くための決断だった。次の道はまだ決まっていないが、その行動力と発想力で、きっと面白い方向に進んでいくのだと思う。

都市生活者が取り戻すべき姿。

都会から来る人たちに、渡辺さんはこれまで何を伝えてきたのか。それは、自然と向き合う感性を取り戻すこと。

「飛行機や電車で窓側に座った人が、富士山が見えてもシェードを下げてスマホを見ている。『ねぇ、そっち富士山見えてんだよ!』って言いたくなりましたもん。それを見て、鈍ってるな〜と思ってね」と振り返る。

寝る時はスマートフォンを遠くに置く。朝、雪の森を歩く。夕方、庭に椅子を出して湧き水で淹れたコーヒーを飲む。季節の根菜と地元の米を食べる。地元の温泉に入り心を静める。写真集を一冊ゆっくり見る。22時に寝る。

「本物のラグジュアリーってこういうことだと思うんです。世界的に有名なホテルのラウンジで、フランスのシャンパンを飲んで、なに不自由ないゲレンデとホテルで過ごすことを、ぼくはラグジュアリーとは思わない」

都市にいたとしても、渡辺さんの生活に近づくことはできる。スマホは置いて、窓の外を見て、公園で木々を眺め、草花で季節を感じ、空を見上げてみる。「外遊び」とは、なにも体を動かさなくたっていい。大切なのは、自然に対して心を開くこと。

2026年冬、オーストリアへ長い旅に出る予定だという渡辺さん。20年以上通っているスキー大国の文化を学び、撮影し、そこで得た知識をまた『Stuben』にアウトプットするのだそう。

「旅のあとの予定は明確ではないけど、ぼくは大丈夫、どこでも生きていけるから」。そのフロンティアスピリッツは、小学3年生で雪山に魅せられた時から変わらない。これから先も、自由を求めて、自然と共に。

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